診断時の年齢:2歳3か月
初産で誕生、約6時間のスピード出産。そのせいなのか、出血多量により母動けず、入院が約五日間延長された。貧血の中、完全母乳の育児が幕を開けた。
今思えば、妊娠中から産後まで、しっかり鉄分を補給しておけばよかったと悔やまれる。貧血だと母の体は体力が全然追いつかなし、しっかり眠れない。その他にもたくさんの理由があるが、一番の悔やみポイントは、いつかの記事で、発達障害の子は貧血傾向にあるというニュアンスの記事を見たからだ。信憑性には欠けるけど、授乳中は貧血からスタートしていたので、母乳も鉄分不足だったことには間違いない。身長も体重も適正範囲内ではあるものの、いつも下線ギリギリ。そして何よりアレルギー検査をした時に血液成分なるものを診てもらったら、先生に「貧血気味の傾向があるから意識して食事与えてね」と言われたからだ。そんな事には気付きもせず、日々過ぎていく。
首すわりは四か月。 その前になぜか寝返りはしていた。首すわりが完了していない状態でよくうつ伏せになるもだから、窒息しないかヒヤヒヤしていたのをよく覚えている。 あやせば笑うし、声も出す。公共機関の乳児健診にて発達遅延の指摘があったものの、うつ伏せをしっかり練習してねと言われただけ。少し成長遅めなのかなと思いつつ、まだ不安にまでは心が動いていない。なぜなら初めての子で、兎にも角にも可愛い、、可愛い、、。溺愛しすぎて、親バカすぎて、成長が遅めなのも尚可愛くて愛おしいと浮かれていたからだ。
腰座りは10か月。 と言っても割り座り(ぺちゃんこ座り)。今思うと腹筋が弱いからその形しかできなかったんだろうか。足を前に出して座らせようとしたけど、不安定な様子だった。6か月くらいから腰がいつ座るのかと待っていたけどなかなか座らなかった。ハイハイもせず、ズリバイのみ(這いながら動く行動)。 あやせば笑うし、声も出す。この時も不安にまでは心は動いていない。なぜなら相変わらずの溺愛しすぎているバカ親だったからだ。成長が遅いといえども、日々進化していく子の姿を見るのが嬉しくてたまらない。 また、地域の子育て交流で他の子との交流はあったものの、半年以上先の子たちばかりだったので、私の中で比較対象にならなかったのだ。
1歳到達! ハイハイをするようになる。つかまり立ちもするようになった。乳児から幼児へ移行していくのが目に見えて、本当に嬉しかった。ただこの時から悩むようになる。離乳食が進まないことだ。限られたものしか食べない。食べてくれるのは右手で数えられるぐらい。離乳食のレシピ本買ったり、レシピサイト見たり、おかゆも何度も何度もやり方変えて炊いた。ド偏食な上にド少食。これで命を保てるのが不思議でならなかった。 また発語も指差しもなかった。それどころか、あまりぐずった事もなく、おとなしい。外出はベビーカーか抱っこ紐だったけど、お出かけで困ったことはあまりない。ニコニコ笑うおとなしい子だった。 この時もまだ不安にまでは心は動いていない。なぜなら相変わらずの溺愛しすぎているバカ親だったし、離乳食の悩みが大きかったからだ。また、変わらず交流する子たちは半年以上先の子たちばかりで、私の中で比較対象にならなかったのだ。
~part0-2~へ続く。
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